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福岡地方裁判所 昭和36年(モ)336号 判決 1961年10月24日

申請人 三島清成

被申請人 西日本鉄道株式会社

主文

当裁判所が、昭和三十五年(ヨ)第三六〇号解雇処分効力停止仮処分申請事件につき、昭和三十六年二月十五日なした仮処分決定はこれを取消す。

申請人の本件仮処分申請を却下する。

第一項にかぎり仮りにこれを執行することができる。

訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

申請人代理人は、当裁判所が申請人並びに被申請人間の昭和三十五年(ヨ)第三六〇号解雇処分効力停止仮処分申請事件につき昭和三十六年二月十五日なした仮処分決定はこれを認可する旨の裁判を求め(本件における口頭弁論の全趣旨によれば申請人においてかかる裁判を求めていることが明らかである)、被申請人代理人は、主文第一、二項同旨の裁判を求めた。

第二、申請人代理人の主張

一、被申請人は、肩書地に本店を有し、陸上運輸等を営んでいる株式会社である。申請人は被申請人に雇傭されている従業員であり、被申請人会社に勤務している従業員で組織している西日本鉄道労働組合(以下単に西鉄労組と略称する)の組合員であつた。そして、後記の如く被申請人より解雇の意思表示を受けた当時の申請人の職種は、被申請人会社の到津電車営業所々属の電車運転士であつた。

二、昭和三十五年三月十一日午後十一時二十分頃、申請人は夜の勤務を終了し、到津電車営業所に帰つたところ、右営業所補導室において乗客係河内孝徳から所持品の検査をされたが、その際所持品の検査に応じたが、靴を脱いでまで検査を受けることに反対し、脱靴を拒否した。

三、ところが、被申請人は、申請人が前記所持品検査に際し脱靴を拒否したことにつき、昭和三十五年三月十七日申請人に対し懲戒を前提とする出勤禁止処分に付する旨の通告をなし、ついで同年三月二十三日西鉄労組に対して申請人の懲戒解雇を労使協議会に付議する旨の提案をなし、ついに同年七月二十一日申請人に対し懲戒解雇の意思表示をなした(以下本件解雇という)。右懲戒解雇の意思表示によれば、解雇の理由は、申請人の前記行為が被申請人会社の就業規則第五十八条第三号の「職務上の指示に不当に反抗し又は越権専断の行為をなし職場の秩序を紊したとき」(懲戒事由)に該当するというのである。

四、しかしながら、申請人の前記行為は、以下述べる理由により被申請人の掲げる就業規則の懲戒事由に該当しない。

元来、何人も憲法或いは法律で定められた場合でないかぎりその意に反し強制的に所持品を検査され又その際着衣、帽子及び靴等を強制的に脱がされない。このことは憲法第十一条、第十二条、第十三条、第三十一条、第三十五条によつて保障された国民の基本的人権である。単に交通事業を経営しているにすぎない被申請人会社に、かかる基本的人権を無視しその乗務員に対し強制的に所持品検査をなし又強制的に着衣、靴等を脱がせることが許される理由はない。

被申請人の就業規則第八条は、その従業員の義務として「所持品の検査を求められたときはこれを拒んではならない」と規定しているが、これによつて被申請人に右の如き強制行為が許されるとするならば、右就業規則の規定はさきに掲げた憲法各条の規定の精神に反し公序良俗に反する無効のものといわなければならない。そして、右就業規則の規定によつて被申請人がその従業員に対しその意に反して所持品検査を行い、又着衣、靴等を脱がせることは、右憲法各条によつて保障された基本的人権を侵害し公序良俗に反するものといわなければならない。この法理は、被申請人と西鉄労組との間に被申請人の従業員が脱靴の上所持品検査を受けるべき旨の協定が成立していようと、又同労組が所持品検査の際脱靴すべきことを承認していようと、これによつて左右されるものではない。けだし、同労組としては、その組合員の不利益になるような問題について特別の授権のないかぎり右の如き協定を締結する権限がなく、又右の如き承認によつて組合員の意思に反してまで脱靴させる効果を生ぜしめることはできないからである。

仮りに、右就業規則第八条の規定そのものが右憲法各条の規定の精神に反し公序良俗に反する無効のものでないとしても同就業規則の規定にいう「所持品検査」は、身体に対する検査ないし捜索とは異り着衣、靴等を脱がせることを含まないものといわなければならない。

だからこそ、被申請人会社においては、従来その従業員に対しときどき所持品検査を行つてきたが、これまで脱靴を命じてまで所持品検査をするということはなかつた。

したがつて、申請人には脱靴してまで所持品検査を受けなければならない義務はない。そしてこのような義務が存在しない以上、申請人の前記行為は右就業規則第八条に違反せず又同規則第五十八条第三号の懲戒事由にも該当しない。被申請人の申請人に対する本件懲戒解雇は同規則第五十八条第三号の規定の適用を誤つた無効のものである。

五、仮りに申請人の前記脱靴拒否の行為が前記就業規則第五十八条第三号もしくはその他の懲戒解雇事由に一応該当するとしても、

(1)  申請人の前記就業規則第八条違反の程度は軽微であること

(2)  申請人の前記行為は右就業規則の解釈の相異によるものであり、その解釈は法律専門家でも容易でないこと

(3)  脱靴の重要性が被申請人会社の従業員に徹底されておらず被申請人においてもその重要性の周知徹底のための努力を殆んどしていなかつたこと

(4)  同種事件で何ら処分された事例がないのに本件でいきなり懲戒処分中の最重罰が課せられたこと

(5)  申請人には前記行為について別に反省の機会が与えられていないこと

(6)  申請人は前記自己の行為が法律的には正当であると考えているが、仮りにその法律的解釈が誤りであると判れば、これを改めるにちゆうちよしないこと

(7)  前記就業規則第五十八条但書によれば出勤停止の処分に止めることができる余地があるばかりでなく、同条によれば申請人の前記行為よりはるかに責任の重いと思われる諸行為についても懲戒解雇より軽い処分をなすことが認められていること

等諸般の事情を考えると、申請人をいきなり懲戒処分中の最も重い解雇処分に付することは、前記就業規則第五十八条但書の解釈、運用を誤り且つ懲戒権を濫用したものである。したがつて本件懲戒解雇は無効である。

六、申請人の前記行為が懲戒解雇に値しないことは以上のとおりである。申請人に対する解雇処分の本当の原因は、申請人がかねてから熱心な組合活動家であり且つ到津自動車分会事件に対する懲戒解雇処分問題について強い反対の意思を表明していたからであると思われる。そうだとすれば、このような動機による解雇は不当労働行為としても無効である。

七、なお、被申請人代理人の、予備的解雇の意思表示の主張については、申請人が被申請人より「懲戒解雇の件につき御通知」と題する書面を受取つたことは認めるが、新に解雇の意思表示がなされたという点は否認する。

八、以上のとおり被申請人の申請人に対する懲戒解雇は無効である。申請人は被申請人を相手に解雇無効確認の本案訴訟を提起するよう準備中であるが、その判決を待つていては将来回復することのできない損害をうけるおそれがあるので、本件解雇処分の効力を停止する仮処分を求めた次第である。

第三、被申請人代理人の主張

一、申請人代理人の主張事実中一ないし三項の各事実は認める。その余の事実は否認する。申請人代理人の四ないし六項の各主張は争う。

二、被申請人会社は就業規則第八条に基き以前から電車及び自動車の乗務員に対し随時所持品検査を実施してきた。

到津電車営業所では昭和三十五年三月十一日午後十時から翌十二日午前零時三十分までの間に勤務を終了した電車乗務員四十六名に対し右営業所補導室において所持品検査を行つた。申請人は同年三月十一日午後十一時三十三分勤務を終え、乗客係河内孝徳から右検査を求められた。申請人は補導室入口で財布、手帳、印鑑等の携帯品を示したのみで、脱靴して補導室板張りの上で検査を受けることを拒否した。河内乗客係は、所持品検査は就業規則第八条に基くものであり、脱靴して検査を受けることは西鉄労組北九州地区支部と被申請人との間における労使協議会において既に確認されていることを説明しその反省を求めた。けれども申請人は「靴は所持品ではない。たとえ主任、所長、課長或いは部長から検査を求められても拒否する」といつて脱靴して補導室板張りの上で検査を受けることをあくまで拒否した。

三、前記の如く本件所持品検査は就業規則第八条「社員が業務の正常な秩序維持のためその所持品の検査を求められたときはこれを拒んではならない」の規定に基いてなされたものである。

この所持品検査は、必ずしも不正の摘発を目的としないが、所持品検査を実施すること自体が不正の防止対策として止むを得ない手段であつて私鉄企業においてはその実施は当然のこととされている実情である。特定の箇所を除外して検査することは、所持品検査を無意味ならしめ、又検査を受けるものの意思により自由にその許否を決し得るものとすることは所持品検査の右目的からみて許さるべきことではない。被申請人において、右の如き所持品検査の目的に鑑み、従来から検査の際、携帯品や靴、着衣等身の廻り全部を検査していたがそのために問題の生じたことはなかつた。たまたま、昭和三十三年八月頃被申請人会社北九州営業局砂津電車営業所において「所持品検査の際靴を脱いで検査を受けさせることの当否」について一部従業員の間に疑義を生じたので、被申請人は西鉄労組北九州地区支部と所持品検査の方法について協議を行い、その結果同年九月(一)所持品検査はないのが理想であるが不正行為のため解雇になる従業員が跡を絶たない現状ではやむを得ない(二)検査の際どこを調べ、どこを調べないと決めることは安全地帯を作ることになるので従来どおりどこでも調べる(三)検査員の態度や言葉づかいについては充分注意するよう検査員を教育する(四)不正防止のため乗車券の車外売りを強化し売上金の途中預り制度を研究する、ということに意見の一致をみて、これを電車部所属従業員に周知させ従来どおりの所持品検査を続けてきた。

その後、昭和三十五年三月四日被申請人は西鉄労組北九州地区支部との間に、所持品検査を円滑に実施するため検査場の補導室を板張りにし、検査は靴を脱いで右板張りの上で行うこととし、前記協議の結果を再確認し、これを従業員に周知せしめるための猶予期間を置き同年三月七日から右検査方法を実施する協定を結んだ。このことは申請人も熟知しているところである。

したがつて、申請人は所持品検査はもとより、その際脱靴して検査を受けなければならない職務上の義務がある。

申請人の前記行為は、前記就業規則第八条に違反したものであり、しかも敢えてかかる違反行為をなすことは就業規則第五十八条第三号「職務上の指示に不当に反抗し又は越権専断の行為をなし職場の秩序を紊したとき」(懲戒解雇事由)に該当するものである。

四、所持品検査の、目的並びに必要性は前記のとおりであるが、被申請人の如き交通会社では、その収入の根幹をなす乗車賃に関する不正防止対策の一である所持品検査は重要な意義をもつものである。そして、これまでに所持品検査の結果不正の発覚したものが相当数にのぼり又靴の中に電車賃等を秘匿しそれが明らかにされて懲戒解雇に処せられたものも五、六名あり、靴の中を安全地帯とすることは許すわけにはいかない。なお、被申請人会社北九州営業局労務課及び電車運輸課において昭和三十五年三月十五日申請人の前記行為について事情を調査したが、その際申請人は二時間余り殆んど沈黙を守り続けて調査に応じようとせず何ら反省の態度がなかつた。又昭和三十四年七月十九日被申請人会社北九州営業局到津自動車営業所で起きた集団欠勤事件に関し同年八月十七日から十九日まで被申請人会社と西鉄労組による合同調査が行われた際、申請人はその調査に喚問された一部の証人に対し「事実に反する証言をした」「反組合的である」等の理由で誹謗したため、職場秩序を紊した廉により昭和三十五年三月二十二日付で譴責処分を受け、さらに昭和三十四年八月三十日、申請人は到津電車営業所でホ八一番の運転士勤務を命ぜられていたが、同番の車掌が欠勤し予備員が車掌教育を受けていない運転士の宮崎義男だけであつたので、勤務掛織田三男の指示により乗客係吉良寛次が右宮崎にホ八一番の運転士勤務車掌兼務の運転士であつた申請人に同番の車掌勤務を命じたが、申請人は正当な理由なくこれを拒否して指示に従わなかつたこともある。

このような事情を考え合わせると、申請人の前記行為を単なる軽微な就業規則違反として看過することはできない。

そこで、被申請人は昭和三十五年三月二十三日申請人に対する懲戒解雇処分を労使協議会の議に付するよう西鉄労組に提案した。同労組はその後昭和三十五年七月二十一日申請人に対する懲戒解雇を承認する旨被申請人に回答した。これは同労組も申請人の前記行為を軽微な就業規則違反として看過し得ないことを認識したためである。よつて、被申請人は、申請人の前記行為が就業規則第五十八条第三号に該当するものとして申請人主張の如く懲戒解雇処分に付したのである。

そこには同規則第五十八条但書の解釈、運用の誤りもなければ懲戒権の濫用もない。

五、仮りに、申請人の前記行為が就業規則第五十八条第三号に該当しないとするも、同規則第五十八条第十号、第五十七条第四号、同条第十四号に該当するので、昭和三十六年二月二十四日付で右各条項を懲戒解雇事由として追加適用しその旨申請人に通告し予備的解雇の意思表示をした。

六、なお、申請人は就業規則第八条の規定は憲法の精神に反し公序良俗に反する無効のものであると主張しているけれども申請人の掲げる憲法の各条項による権利は国民の国家に対する関係において存する権利であつて、私人相互の間において存する権利ではないから右就業規則の規定を直ちに憲法の精神に反し公序良俗に反する無効のものとは言えない。

七、以上のとおり本件解雇は正当な理由があるから申請人の本件申請は却下せらるべきものである。

第四、証拠関係<省略>

理由

第一、判断の基礎となるべき事実

一、被申請人は肩書地に本店を有し陸上運輸等を営んでいる株式会社であり、申請人は被申請人に雇傭され、(期間の定めがない)、被申請人会社北九州営業局到津電車営業所々属の電車運転士として勤務し、被申請人会社に勤務する従業員で組織している西鉄労組の組合員であつたことは当事者間に争がない。

二、申請人本人尋問の結果、及びこれによつて成立の認められる疏甲第二号証、第四号証、第六号証、第八号証、第九号証、成立に争ない疏乙第一号証、第三号証、第四号証、第六号証の一ないし三、第八号証、第十一号証の一ないし三証人種池義彦の証言によつて成立の認められる疏乙第二号証、弁論の全趣旨により成立の認められる疏乙第七号証、並びに証人河内孝徳、河津三十郎、坂元鉄志、稲用正雄、竹島守、種池義彦の各証言を綜合すると次のような事実を認めることができる。

(1)  被申請人は、従来、その就業規則第八条「社員が業務の正常な維持のため、その所持品の検査を求められたときは、これを拒んではならない」旨の規定に基き、電車、自動車の乗務員による乗車賃等の不正隠匿並びに領得行為の防止ないし摘発のため随時所持品検査を実施してきた。

(2)  右所持品検査の方法については、被申請人は、人権の侵害にならないかぎり一応検査を受けるものの身につけているものは全部調べることとし、いわゆる治外法権的安全地帯を作らないという方針をとつてきた。ところが、昭和三十三年八月頃被申請人会社北九州営業局砂津電車営業所で一部従業員のうちから検査の際脱靴することの当否について疑義が提出されたので、被申請人は西鉄労組北九州地区支部との間で、同年九月下旬頃から十月下旬頃までの間前後三回にわたり運輸小委員会を開いて協議した。その結果被申請人の右従来の方針は勿論、乗務員が所持品検査の際脱靴を求められればこれに応じなければならないことが確認された。しかし脱靴による靴の中の検査は従来も又その後も検査員の個人差により必ずしも画一的に励行されていなかつた。そこで、その後昭和三十五年三月四日、被申請人は、西鉄労組北九州支部に対し、脱靴の指示並びに靴の中の検査について検査員と検査を受けるものの間に生ずる感情の摩擦を和げ、しかもこれを画一的に励行するために、従来所持品検査場として使用されてきた補導室を板張りにし、所持品検査はその板張りの上で行うこととする旨提案した。そして同日被申請人が説明会を開き右提案の内容並びに趣旨について説明をしたところ、西鉄労組北九州地区支部はこれを了承し右提案を確認した。なお、その際労組支部の申入により組合員に対する周知のための猶予期間を置くこととし同年三月七日から右方法による所持品検査を実施することに定められた。そして右労組支部は同年三月四日付「支部報」(疏乙第三号証)に右確認事項を掲載し、申請人を含むその所属組合員に対し、被申請人の提案指示による右検査方法が同年三月七日より実施される旨を周知徹底させた。

(3)  これよりさき昭和三十五年二月頃、被申請人は所持品検査場の改造に着手し、前記到津電車営業所においては、とりあえず補導室のコンクリート床上に縦約一・五メートル、横約〇・七五メートル、高さ約七センチメートルの踏板を敷き並べ、入口の部分若干面積を除き同室を板張りのように改造し、その板張りの上に机を置きそこで靴以外の所持品検査を行うように設備を整えた。これによつて、検査を受けるものは右板張りの上に上らうとすれば自然脱靴せざるを得ず、検査員は改めて一々その場で脱靴の指示をしなくとも、脱靴された靴の中まで検査することができるようになつた。

(4)  このようにして、右到津電車営業所においては、被申請人によつて指示された右方法による所持品検査が、昭和三十五年三月七日先ず乗務員約四十名に対して行われ、ついで同月十一日二十二時より二十四時三十分までの間乗車勤務を終えた申請人を含む乗務員四十六名に対して行われた。

申請人は、右同日二十三時二十分過頃乗車勤務を終えた直後、上司である乗務係河津三十郎より右方法による所持品検査を受けるよう指示を受け補導室に入つてきたが、入口のコンクリート床上に立つたまま上司である当時の検査員河内孝徳に対し、いきなり「靴を脱ぐのは断ります」といつて踏板の上に上らず脱靴して検査を受けることを拒否した(脱靴して検査を受けることを拒否したことは当事者間に争がない)。そこで河内検査員が申請人に対し、脱靴して板張りの上で検査を受けることはすでに組合の方でも確認されているし他のものがすべて脱靴している(事実、これまでの所持品検査において申請人の如く脱靴を拒否した事例は一つもなかつた)旨説明し、被申請人の指示する前記方法による所持品検査に応ずるよう説得に努めたが、申請人は、靴は私物で所持品ではない、本人の承諾がなければ靴の検査はできない筈だ、検査員がいくら脱がせようとしても脱靴しない、部長、課長又は所長、主任がいおうと脱靴しない旨答え、ただ踏板の上に帽子、及びポケツト内の携帯品を差出しただけで、頑強に脱靴を拒否した。河内検査員はやむを得ず補導室の入口で申請人の差出した物件を調べ且つ申請人の着衣を外部から両手で触れて検査した。そのとき、他の乗務員が検査を受けに補導室に入つてきたので、河内検査員がその方の検査に着手したところ、申請人は補導室より退去した。やがて、河内検査員は再び申請人を呼び、補導室或いはその附近で再三脱靴して靴の中の検査を受けるよう説得に努めたが申請人の応ずるところとならなかつた。

このようにして、申請人は、被申請人並びに検査員の脱靴並びに靴の中の検査に関する指示に頑強に反対し、あくまで靴の中の検査を拒否したのである。

前記挙示の疏明資料中右認定に反する疏甲各号証及び申請人本人尋問の結果はその余の資料に照らし措信できず、他に右認定をくつがえすに足る資料がない。

三、被申請人が、申請人の前記行為につき、昭和三十五年三月十七日懲戒を前提とする出勤禁止処分を通告し、ついで同年七月二十一日就業規則第五十八条第三号「職務上の指示に不当に反抗し又は越権専断の行為をなし職場の秩序を紊したとき」(懲戒事由)に該当するとして申請人に対し懲戒解雇の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

第二、当裁判所の判断

一、就業規則第八条

前記の如く申請人に対する所持品検査は被申請人会社就業規則第八条の規定に基くものであるところ、申請人はこの就業規則の規定は、憲法第十一条、第十二条、第十三条、第三十一条、第三十五条の精神に反し、公序良俗に反するものであるから無効の規定であるとし又右就業規則の規定による脱靴並びに靴の検査は右憲法各条によつて保障された基本的人権を侵害するものであると主張するので、この点について判断する。

元来、右各条を含む憲法第三章国民の権利及び義務に関する各規定における国民の憲法上の権利は、それ自体私人間のものとしての性質をもつもの(例えば使用者に対する関係で成立する勤労者の団結権等)は別として、一般的には国家に対する人民の権利としての性質をもつものであるから私人間には当然には妥当しない。したがつてこれらの憲法上の自由ないし権利が就業規則又は私人間の自由意思による契約等によつて制限されることも可能である。但し、憲法がこれらの権利を基本的人権として承認したことは、それらの権利が不当に侵害されないことをもつて国家の公の秩序を構成することを意味するものと考えられるから、何らの合理的な理由なしに不当にこれらの自由ないし権利を侵害した場合には、いわゆる公序良俗違反の問題が生ずることがあり得ると考えられる。

右就業規則の規定に基く所持品検査の目的は、証人稲用正雄の証言によれば、被申請人会社の電車及び自動車の乗務員による乗車賃等の不正隠匿並びに領得行為を防止ないし摘発するにあることが明らかである。ところで、被申請人会社の如く電車、自動車等による陸上運輸業を営むものにとつては乗車賃がその収入の根幹をなすものであることは公知の事実であるし、又証人木本元敬の証言により成立の認められる疏乙第五号証の一ないし十一によると、昭和二十六年度より同三十四年度までの間に乗車賃等の不正隠匿並びに領得行為により懲戒解雇処分を受けたものがその間の懲戒解雇処分を受けたものの合計四百七名の過半数を占める多数にのぼり、しかも右不正行為件数の約半数が所持品検査の結果摘発されていること、及び乗車賃等の隠匿場所についても着衣、靴等の中に隠匿したものが、相当数にのぼつていることが認められる。このような被申請人会社の業態並びに所持品検査の果している効果からみて乗務員に対する所持品検査は被申請人会社にとつて必要欠くべからざるものであることが窺知できる。しかも、前記認定の如き経緯により西鉄労組北九州地区支部によつて確認された検査方法による前記所持品検査は必ずしも不当に申請人の自由ないし権利を侵害するものとはいえない。申請人の右主張はいずれも採用できない。なお、申請人は、右就業規則第八条に規定する所持品検査とは、検査を受けるものに脱靴させ、靴の中まで検査することを含まない旨主張する。しかし、右規定にいう「所持品」とは、前記の如き所持品検査の目的から考えると、検査を受けるものの占有に属するすべての物件を指称するものと解されるから申請人の右主張は採用できない。ただ、所持品検査に当り検査を受けるものの占有するすべての物件を検査することによつて、そのものの自由ないし権利を不当に侵害する場合が生じないとも限らない。しかしこのような点についても前段の説明で明らかなとおり申請人に対する前記認定の方法による脱靴並びに靴の中の検査は必ずしも不当に申請人の自由ないし権利を侵害するものではない。そうすると、申請人は、前記所持品検査に当り、脱靴して靴の中まで検査を受けなければならない義務があつたものといわなければならず、これを拒否した申請人の前記行為は明らかに就業規則第八条の規定に違反したものである。

二、就業規則第五十八条第三号の適用について

申請人の前記行為が就業規則第五十八条第三号に規定する「職務上の指示に不当に反抗し又は越権専断の行為をなし職場の秩序を紊したとき」に該当するかどうかについて当事者間に争があるのでこの点について判断する。

前記就業規則第五十八条第三号(懲戒事由)の規定は、その文言内容からみて被申請人会社内の業務の正常な秩序を維持するための服務規律違反すなわち職場秩序違反を対象としていることが明らかであり、成立に争ない疏乙第一号証(就業規則)中第六章の懲戒事由の各規定(第五十七条、第五十八条の各号)を彼此比較検討すると右第五十八条第三号の規定は右職場秩序違反のうち「職務上の指示に不当に反抗し又は越権専断の行為をなし」たものを特に重視しこれを独立の構成要件として定めたものと解される。

そこで、まず右規定の内容について考えてみるに、この規定にいう「職務上の指示」とは被申請人会社のためにその従業員が担当処理すべき本来の職務執行々為についての上司の指示ばかりでなく、右職務執行々為と密接な関係のある上司の指示を含むものと解され、又「不当に反抗する」とは同じく職場秩序違反でも単に右上司の指示に従わなかつただけでは足りず、何ら合理的理由がないのに不当にこれに反抗することを要するものと解される。

申請人の前記行為は前記の如く就業規則第八条の服務規律の規定に違反するものであるが、この規定は、一方経済的には前記の如く乗務員の乗車賃等の不正隠匿並びに領得行為の防止ないし摘発を目的とし、他方この目的並びに前記必要性に鑑み被申請人会社がその業務の一つである所持品検査を秩序正しく遂行するため乗務員に対し右検査に服すべき業務上の義務を負わしめたものと解される。言い換えると、この規定は右の如き不正行為の防止ないし摘発の目的も然ることながら、被申請人会社における職場秩序維持に関する服務規律を定めたものに外ならない。

但しここで考えられることは、この規定によつて乗務員が所持品検査を受けるということは、その乗務員の本来の職務執行々為でないということである。しかしながら、前記の如く乗務員がこれを受けなければならない義務がある以上それは本来の職務執行々為ときわめて密接な関係にあるものと解される。

したがつて、乗務員に対する右所持品検査についての上司の指示は、乗務員の本来の職務執行々為と密接な関係のある上司の指示として、まさに前記「職務上の指示」に該当し、これに不当に反抗し職場秩序を紊した場合には前記第五十八条第三号の要件を充足するものと解される。

前記疏乙第一号証就業規則中第二章服務規律の各規定と第六章の懲戒事由の各規定とを比較対照してみると、懲戒事由の各規定は概ね服務規律違反に対する制裁として位置づけられていると解されるが、第五十八条第三号懲戒事由の規定が、第八条の規定による服務規律違反を全然予想していないとか又乗務員が所持品検査について前記上司の職務上の指示に不当に反抗した場合を除外するものであると解することはできない。右服務規律の各規定及び懲戒事由の各規定の関係からみても、そのように解しなければならない合理的な根拠を見出すことはできない。ただ、第八条の服務規律に違反した場合、或いは第五十七条第十四号、第五十八条第十号の各懲戒事由に該当することが予想されることもあり得るけれども、だからといつて第五十八条第三号の要件を充足する場合この規定の適用を除外しなければならないという理由にはならない。服務規律違反の行為の態様、情状の軽重によりそれに対応して別々に懲戒事由の規定が設けられれば、その要件を充足するかぎりそれぞれの規定によるべきことは当然のことだからである。

つぎに、前記認定の事実によれば、申請人の前記行為は前記所持品検査を受けるに当り上司である検査員の職務上の指示に従わなかつたばかりでなく、何ら合理的な理由がないのにいたずらに自己独自の見解を固執し右上司の再三にわたる説得行為にかかわらず右職務上の指示に反抗しもつて被申請人会社の業務の正常な秩序を紊したものと解するのが相当である。

したがつて、申請人の前記行為は就業規則第五十八条第三号に規定する懲戒事由に該当し、この規定の適用に誤りがあるとする申請人の主張は採用できない。

三、解雇処分の当否について

前記就業規則第五十八条は「社員が次の各号の一つに該当するときは諭旨解雇又は懲戒解雇に処する。但し情状により出勤停止に止めることがある」と規定する。この規定の趣旨は、同条各号に掲げる懲戒事由があつた場合被申請人の単なる主観的な自由裁量によつて懲戒解雇、諭旨解雇、又は出勤停止のいずれかを選択し得るとするものではなく、客観的な情状の軽重によりその情状が懲戒解雇処分に値する程度に重いときにはじめて懲戒解雇処分にするということを規定したものと解される。

申請人の前記行為が同条第三号に規定する懲戒事由に該当することは既に説明したとおりであるが、いまその情状について考えてみよう。昭和二十六年度から同三十四年度までの間に所持品検査の結果相当数の不正行為が摘発されていること及びそれらの中着衣、靴等の中に乗車賃等を隠匿していたものが相当数にのぼることは既に述べたとおりである。このような事実に照らすと乗車賃を収入の根幹とする被申請人会社にとつては右の如き不正行為の防止ないし摘発を目的とする所持品検査の役割がいかに重要なものであるかが窺知できる。もし申請人主張の如く申請人の前記行為が許容されるとすれば、靴の中は所持品検査に対するいわゆる治外法権的安全地帯となり、靴以外の所持品についてはいかに厳密な検査をしようとも所持品検査そのものを有名無実と化してしまうであらう。しかも、このことは単に申請人だけに止まらず他の乗務員にも類を及ぼし、さらに靴だけでなく着衣までも検査を拒否するという事態が生じないとも限らない。成立に争ない疏乙第三号証によれば、西鉄労組北九州地区支部が被申請人の提案した前記所持品検査の方法を確認したのも、右の如き事情を考慮した結果に外ならないことが窺知できる。

又証人種池義彦、同竹島守、同稲用正雄の各証言及び申請人本人尋問の結果を綜合すると、申請人は前記行為後昭和三十五年三月十二日到津電車営業所営業主任稲用正雄に呼ばれて事情を聴取された際にも相変らず所持品検査には脱靴しないという態度を固執し続け、さらに同月十五日被申請人会社の事情調査の際にも誠実に調査に応ぜず前記反抗的態度を持ち続け反省の色もなかつたことが認められる。

その他、これまで申請人の如き行為に出たものが他になかつたこと等綜合して判断すると、申請人の前記行為は使用者たる被申請人に対する関係においてこれを軽視することはできず、その情状は相当重く、就業規則第五十八条所定の懲戒処分中懲戒解雇に値するものと解するのが相当である。

そうすると、被申請人が申請人の前記行為につき前記の如く懲戒解雇の意思表示をしたのは相当であつて、同条の解釈運用に何らの誤りはない。そして以上の情状の存するかぎり本件懲戒解雇には懲戒権の濫用も見受けられない。右の認定を覆すに足る資料がない。右認定に反する申請人の前記主張は採用できない。

四、不当労働行為について

申請人は、申請人に対する本件懲戒解雇処分の本当の原因は、同人がかねてから熱心な組合活動家であり且つ被申請人会社到津自動車分会事件における懲戒処分問題について強い反対の意思を表明したことにあり、このような動機による解雇は不当労働行為として無効である旨主張する。しかしながら、本件解雇の理由は既に説明したとおりであつて、しかも申請人主張の如き動機を主たる原因とすると認めるに足る疏明がないから右主張は採用できない。

五、以上説明したとおり被申請人の申請人に対する昭和三十五年七月二十一日の懲戒解雇の意思表示は有効であり、これによつて申請人は被申請人会社の従業員たる地位を失つたものである。したがつて本件仮処分申請の被保全権利はその余の判断をするまでもなく存在しないことが明らかである。

よつて、申請人の本件仮処分申請は理由がなく、これを却下するのが相当であつて、これと相反する本件仮処分決定はこれを取消すこととし、仮執行の宣言につき民事訴訟法第七百五十六条の二、訴訟費用の負担につき同法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 江崎弥 至勢忠一 岡野重信)

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